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Achi-Cochi


宮美(みやび)を知る旅 伊勢・京都

2015.04.29

写真  歳をとると、和心が芽生えるというのはどうやら真のようである。ここでいう和心というのは穏やかな心という意ではなくて、海外よりも日本の文化を好む嗜好のことだが、20代の頃はさんざん海外を旅し、世界地図に足跡をつけることを誇らしげに思っていたわたしにも、ついに「十何時間も飛行機に乗るくらいなら、温泉浸かりたいわぁ」という時が来た。北陸新幹線も開通したことだし金沢でゆったり……、いや、博多の屋台をめぐるものもわるくない。
 もともと、地味な性格である。地味で静かなことが好き。ビーチでアロハ! よりは自然を堪能したいと思うし、ウィンドウショッピングなんて正直疲れるだけだから、むしろホテルにいさせてほしいタイプである。その上、ここにきてすっかり「しっぽり」が好きになってしまった。この変化はいったいなんなのだろう。肉より魚、みたいなものだろうか。
 おかげで春になったとたん、わたしの旅熱は西日本へと向かっていった。JR西日本のコマーシャルのような、古都に咲く桜を見たい。そんな思いを馳せ、行先としたのは、伊勢&京都。国内も国内、まさに日本の奥座ともいうべき場所だった。

 伊勢も京都も何度目かの場所ではある。けれど、この「和心」が芽生えてからの、つまりは歳を重ねてからのこれらの地というのは全く印象が違う、趣が違う。
 春の木漏れ日を受け、お伊勢さんの参道に桜の花がひらひらと散る。五十鈴川の清流、「世古」とよばれる小さな路地裏。伊勢参りは、外宮に参拝したあと、内宮にまわるのが正式だという。外宮の砂利参道、内宮入り口にかかる宇治橋。普段よりゆっくりと歩くと、体の邪気がフーッと抜けていく。
 外宮、内宮と参拝を終えたら、ほかの社にも足をのばしたい。伊勢には俗にいうパワースポットがたくさんあり、思わぬご縁をいただいたり、良運に恵まれたりする。深淵なる豊かな力――お伊勢さんに行くと、いつも思わぬ力を貰い受ける。

写真  夕刻になり、京都へと移動した。
 なにも伊勢と京都をセットでまわらなくてもいいのだが、京都のほうはお仕事だったのだ。
 翌日はほとんど自由時間がないため、宿に荷物を置いてすぐ散策に出かけた。京都といえば、こちらも路地が素敵である。路地といえば石畳、石畳といえば雨上がり。三拍子揃った上に、この日は夜桜が月光に照らされていた。
 ふいになぜか、清水寺に行きたくなった。高校の修学旅行で、日本史の先生が「桜の名所は京都のいたるところにある。でも、夜桜ならば清水の舞台から見る景色が格別」と言っていたのを思い出したのだ。あの長い急坂をのぼる。左に八坂の塔が見える。とてつもなく懐かしい気持ちになりながら、赤い仁王門をくぐり、そしてかの舞台へと足を進めた。
 階段をのぼりきると、美しくライトアップされた桜が眼下に広がった。幾重もの柔らかな桜の花びらが風に揺れ、雨上がりの霞の向こうに京の街が見える。言葉にならないくらい、まさに絶景だった。

写真  ぼんやりと、時の流れというものを思った。この場所に立ってみたら、この古都の街並みを見下ろしてみたら、たかだかウン十年なんてたいした話じゃないように思えた。女であると、とくに日本にいると、年齢ってときどき煩わしくもあるけれど、大人になるってけっして悪いことばかりじゃない。なってみないとわからない古色の美しさってあると思うから。あの頃は、あぶらとり紙買うことしか頭になかったけど、今はうっとりこの町の諸処にある美しさに心をゆだねることができる。
 そういえば、あぶらとり紙使わなくなったのっていつからだろう。ほしくないっていうより、要らなくなった。きっと、こういう和の趣っていうのは、あぶらが出なくなった頃に気づくものなのかもしれない――って、老生常譚っぽくまとめようとしてみたけれど、たまには肉も食べなきゃと、散りゆく桜に思ふ夜なのでした。